2014年1月31日金曜日

ブラームスのピアノ

日本ブラームス協会の年会誌 「赤いはりねずみ」が、毎年12月末にヤマハの店頭に
出るので何となく買っています。 最新号(2013年号)は創立40周年だったらしい。
「赤いはりねずみ」 は ウィーンで ブラームスが通っていたレストラン。 今はもうない。

毎回、音楽学者 西原稔の論文が載っています。 専門的すぎて理解出来ないことも多い
のですが、今回は、ブラームスがどんなピアノを所有して弾いていたかという探求話、
それと クララ・シューマンの ピアノメーカーとの関わりによる ブラームスへの影響に
ついての文が面白く読めました

かなり現代ピアノに近づいている時代ですが、ブラームス自身の好み、環境等により
最先端の楽器で作曲し演奏していたとは限らない。むしろ ハンブルク時代は、ハインス
というメーカーのスクエアピアノ(88鍵ない)を愛用していたとか・・・。

クララからもらった コンラート・グラーフという立派なグランドピアノも、他人に預けて、
もてあましていたという話です。 でもその頃、もうあの難曲「ヘンデルバリエーション」や
「ピアノ四重奏曲」を作曲しているのですから すごい。
ピアニストで ピアノで作曲しているけれど ピアノに頼らない。

一方 クララは、メーカーとの縁が多く、野球選手に 「 うちのバット使ってみて下さいよ」と
言うみたいにメーカーから 「うちのピアノ弾いてくださいよ」と寄ってきたのでしょう。  
クララは、最先端のピアノを弾いていたに違いありません。

ブラームスの後期ピアノ小品のいくつかは、クララの弟子のピアニストが初演しているの
ですが、なぜロンドンで なのだろうと不思議に思っていましたが、ほぼ今日のピアノに近い
アクションを開発したのが、ブロードウッドというイギリスのメーカーだったのです (そんな
ピアノの製造歴史も知らなかった(恥)。 クララは最新楽器にこだわった人なんですね。
 
ウィーンに移住してからも、ブラームスが所有していたピアノは、まだ イギリス・アクション
ではない シュトライヒャー というウィーンのもの。  もう新しいアクションのベーゼンなども
手に入る時代、コンサート会場では弾いていたかもしれないが。
        (2006年ウィーン旅行時に その ブラームス所有のシュトライヒャーを撮していた♡ )

論文の結びで、ブラームスの響きの原点はどうなのか・・・ハインスのピアノが鍵であろうと
西原先生は語っておられます。

ハインスや シュトライヒャーでこそ 再現できる インテルメッツォの音世界なのか?
聞いてみたい ♡ ( 勝手に インテルメッツォが ブラームス ピアノ曲の響きの原点だと
思っている私(笑)

ブラームスは、それまでの 楽器の発展が 楽曲の発展というところとは違う次元で
ピアノ曲を書いていたことに感動を覚え、また新たな真実の発見を心待ちにしたいと
思いました。

                       *   *   *   * 

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